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秩父山地 城山(シロヤマあるいはジョーヤマ 648m)

 右端が城山
  

【日付】2021年05月23日(日曜日)

【メンバー】 礒田武志: 単独
新座市の新型コロナウイルス累積感染者数912、4/28~5/31蔓延防止等重点措置地域に指定、ワクチン接種予約 06/02から第2回目予約開始につき単独 

【行動日程】      
【交通】
(往 路)
志木東武東上線快速急行(小川町行) 09:18-10:04小川町(埼玉)10:13-10:29寄居秩父鉄道(三峰口行)10:58-11:54白久
(復 路)
白久秩父鉄道(飯能行)15:27-15:51西武秩父 ≪直通≫15:51-16:38飯能 西武池袋線Fライナー快速急行(元町・中華街行)16:40-16:54小手指16:55-17:06秋津/新秋津武蔵野線(東京行)17:15-17:25北朝霞/朝霞台17:30-17:32志木

【コースタイム】  白久駅309m11:55~12:34NHK電波塔跡か~13:38城山648m13:44~13:50林道~14:39法雲寺14:45~15:02白久駅 [歩行時間(休憩を含む)3時間07分]  

【コメント】
1. 動機 
 コロナ禍の中、コロナ太りし、筋力が衰えたので回復しなければと思っていた。昨年初夏以来、「日本山名総覧18000の山」に載せられている埼玉の山201の中の未踏・未記録の山を近場から登ることとしている。 ネットで検索してみると城山の読みはシロヤマとジョーヤマの二つがある。地元ではどちらなのだろうか興味がある。城山は、1999/10/31と2001/04/01に熊倉山経由酉谷山をコースを変えて通った時に山頂を踏まずに巻いてしまった 。自動車を利用して林道の熊倉山大肌尾根コース登山口に登れば城山に約10分で登ることができる。それでは新座山の会のメンバーとしてはつまらない。山と高原地図22(奥武蔵・秩父1998年版)に記載がない白久駅からのコースを歩いてみたい 。

2. 天気・気温・体調・装備
2.1. 天気・気温
 秩父市天気予報  05月23日(日) 晴時々曇 夏日 最高25℃最低14℃降水確率00-06/10%、06-12/0%、12-18/0%、18-24/0% 南西の風日中北東の風
当日 天気は予報通り

2.2. 体調
 コロナの症状と紛らわしい熱中症に注意した。殆ど針葉樹林中を歩いたので気温も陽射しも心配したほどではなかった。帰りの白久駅まで異常なし。

2.3. 装備
 一般的ハイキング装備で十分であった。日焼け防止のため日焼け止めを顔に塗り、帽子、長袖シャツ・長ズボンを装着した。コロナ感染防止のため密になる駅構内、電車では不織布マスク着用に励んだ

3. コース
3.1. 見どころ
・展望  里山の植林の中で期待できない
・三角点マニア  城山山頂に三角点はない
・信心  法雲寺 観音札所秩父30番 鎌倉時代の創建
・遺跡・歴史的建造物  城山は熊倉城跡、山内上杉ー長尾景春ー太田道灌の確執・合戦があった  
・自然・動植物
・礫岩  尾根道にふさわしくない丸い小石が転がっていた。信心で荒川の河原から持参したのかと思ったが徒歩道に礫岩の露頭があり、丸い礫が何個も挟まっていた
・林道斜面の花  梅雨前にふさわしくウツギ、ガクウツギ等、05/16に見たカザグルマの仲間のハンショウヅル、まだ蕾のマタタビに白い葉も
・杉林林床 イノモトソウの新芽、クラマゴケなどが目に
・蝶  白久駅から蕨畑まで、法雲寺から白久駅までの里にはウスバシロチョウ等のアゲハの仲間やシロチョウ、ヒョウモン、ミスジチョウ等の多種の蝶が舞っていた
・鳥  白久駅の東でタカの声を聴いたが姿は見えず、里歩きの間では鶯、里山ではカラ類やキツツキ、カケス、キジバト、ツツドリなど、キビタキも

3.2. 安全・ハザード
3.2.1 道迷い
 今回登りに使った白久駅から熊倉城跡を経て林道登山口までは昭文社山と高原地図に記載されていないが、はっきりした踏み跡が続いている。その上、荒川村(現秩父市)が設けた道標、擬木階段や登山者が着けた目印赤テープ、埼玉県森林公社の境界杭が整備されているのでそれらを追いかければ、まずは道迷いはないはずだ。

3.2.2. 薮・倒木
 薮・倒木は全くない。尾根道を巨木の根が横断している場所が1ケ所あった。滑りやすい巨根を踏むのだがバランスをとるためのロープが結ばれている。心配ない。

3.2.3岩場・急坂
 岩場はない。急坂は多いが擬木階段が設けられており、トラロープも渡してある。

3.2.3. 気温・衛生害虫
 梅雨前であったが蚋、蚊など衛生害虫は発生していなかった。

4. 歩いてみての感想
・踏み残していた城山の山名板を見られたのは嬉しい。これで埼玉201も残り33になった。
・林道登山口から熊倉城跡に登ればほんの10分しかからない。自家用車でピークハントだけを狙うならそれもよい。白久駅から熊倉城跡徒歩コースを歩けば里山にしてはアップダウンが多い細尾根を2時間近く楽しめる。
・城山は、熊倉城跡看板ではジョウヤマと読んでいた。「日本山名総覧18000の山」のシロヤマとは違う。どっちでもいいのだが…
・法雲寺には観音堂、庭園と池を映しこんで撮るベストスポットがあったらしい。見逃したのを悔やむ。後の祭り。
・日曜日であったせいか東上線も坂戸を過ぎればガラガラ、秩父鉄道は言わずもがな
(記 礒田武志)

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(写真 礒田武志)
 
 5.記録
 5.1. 白久駅からNHK電波塔跡(?)まで
 白久駅は南に改札がある。下車した数人を追って改札の外に出た。駅前に店がない。車社会に置いて行かれたようだ。梅雨前の積雲が覆う空だが東には青空もある。駅前の古びた観光案内地図を見る。パソコン近視が進んだ白内障気味の目にはなにが書いてあるのやら、諦めて白久駅を東へ出発した。青葉になった染井吉野の古木の根元を満開のフランス菊が覆っていた。道なりに舗装道路を進んでまず踏切を渡り、次いで高橋で谷津川(やつがわ)を渡る。高橋の東袂には線路を渡る歩道があったようだが現在はロープで閉鎖されていた。線路の南下の車道を進む。道路北に5月の鯉幟が泳ぎ、南斜面には若草が萌えたつ。地形図と照合してみると南斜面の破線登山徒歩道は消滅し草木に埋もれているのが分かった。南斜面の「秩父市カタクリ、ニリンソウの里 自生地」立て看板まで若草が延びていた。再び出てきた「秩父市カタクリ、ニリンソウ、アズマイチゲの里 自生地」看板も青草に埋もれている。登山路分岐が見えてきた。坂の下が標高点309なのだろう。城山まで標高差339mとなる。
 分岐には本道に向かって立つ「荒川村自然遊歩道」道標があり「熊倉城跡」すなわち坂を登る方向が示されていた。道標は坂を上る歩行者の方にも向いてほしい。坂を登り再び踏切を渡る。簡易舗装の道を進み祠前で道標に従い右折する。鶯が大声で囀っている。左に蕨畑が現れ、簡易舗装から草道に代わる。草道に着いた轍跡を進む。泥濘に先行者の足跡が残る。今朝単独で登ったようだ。蕨畑の角を曲がって杉桧林に入る。突き当たり左手奥にブルドーザが止めてあった。ブルドーザーを見て右折、キャタピラー跡の着いた広い土道を歩む。「公社営林 埼玉県営森林公社看板 火の用心」と記した杭や「火の用心」の赤旗が立っていた。ブルドーザー道は巻いているのに取り付きからは急傾斜が続くのでゆっくりと登る。針葉樹の林でカケスが騒ぐ。声はすれども姿がない。尾根末端についてブルドーザー道が終わり細い電光擬木階段道になった。階段が終わり針葉樹植林斜面巻き雷光道を歩む。よく手入れされた植林で明るい林床にはイノモトソウが若芽を伸ばし、道の脇には杉林らしくクラマゴケやラショウモンカズラが生えていた。支尾根に着き、尾根筋を辿って電柱の立つ主尾根に着いた。電柱から外れたのか道脇に黄色被覆材が落ちている。 NHK電波塔があるというがそれらしい構造物は目に入らなかった。

5.2.NHK電波塔跡(?)から城山(熊倉城跡)まで
 尾根には芝の小広場があり、地形図家屋記号に対応した建築物が近くにあるはずだが目につかない。NHK電波塔も見つからない。麓からSLの汽笛が聞こえたのを機に細尾根を南へ向かった。基本的に細尾根の東側は針葉樹、西側は広葉樹の林に分けられている。急坂には擬木階段が続き、危険個所にはトラロープが張られて安全に歩めるように気が配られている。12:47にP510を過ぎてコルに近づいた。巨大な根が道を塞ぐ。丸くて滑りやすい肌をしているがここもロープがあるのでバランスを取りながら万一に備えて掴めば踏み越えられる。通りすぎて巨大な根を這わした木の写真を撮った。広葉樹林でキツツキがけたたましく警戒の鳴き声を続けていた。尾根に顔を出した岩がこれまでと違って礫岩であると気が付いた。なるほど途中に丸石が転がっていたわけだ。キジバトののんびりした声が聞こえる。足元にはツチグリがもう発生して襟を広げていた。そういえばここまでの道に落ちて目立のはエゴノキの白い花、山桜の赤実、楓の緑プロペラ、茶色は秋に落ちた檜と楢の実と思い出す。尾根に突然の切れ目が入った。山城の空堀だ。山道から遊歩道に進むと再び空堀と出会い、その先で白い(熊倉城跡の)杭と看板が見えた。

5.3.城山(熊倉城跡)から林道登山口まで
 白杭の脇の熊倉城跡説明看板を読む(由緒看板覚書)。この辺りが地形図の648と思うが山名板が見当たらない。最高点を求めて、杉の植林で暗く展望もない二の丸・本丸をうろついた。なにも発見できないので城山を踏破したものと見做してお茶を濁す。帰って来た熊倉城跡白杭標裏になんと城山山名板があるではないか。白杭は帽子を被っている。記録のため写真を撮って遊歩道を南へ下った。突然、遊歩道先の尾根にトウセン棒、良く見れば右に階段がある。階段道を下って直ぐに林道に着いた。遠くからツツドリの声が届く。

5.4林道登山口からまで法雲寺まで
 林道熊倉城跡登山口はやはり熊倉山大肌尾根コースの登山口であった。黒自家用車が駐車していたが熊倉山へ登られたのだろう。前回はマイクロバスでここまで来たことを思い出した。白久駅へ向かって林道を下る。林道斜面には白い花を満開にしたウツギが続いていた。「熊倉山山頂・白久駅」道標が立つ。林道の左右に咲く季節の花を愛でながら下る。ガクウツギ、コアジサイ、マタタビの蕾と白い葉、ハンショウヅルに加えてフタリシズカが今も咲いていた。沢音が聞こえ始めたころ年配女性が林道をそぞろ歩きしながら登って来た。目礼を交わして下る。林道が谷津川に出合う。道幅が広くなり、左側に「運転注意」のウマとコーンが立っていた。白久温泉郷の上流部になるのだろう。谷津川を見おろす。木々の隙間から小橋が見えた。熊倉山への谷津川林道コースの始まりだった。懐かしいが現在は林道が荒れて通行禁止・閉鎖中との看板が立っている。路上をミミズと見まがうような橙色の小へピが叢へ逃げて行った。会社の保養所の看板などが下がるロッジ集落を通る。手入れが足りない家屋が目に入り暗い気持ちとなった。谷津川を渡る。左手に谷津川館の建物を見て法雲寺の参道に入った。浄水場の前に法雲寺の入口がある。

5.5法雲寺から白久駅まで
 法雲寺の階段前に 着いてまずは 秩父札所三十番法雲寺の由緒を読む。直ぐ上に庫裏があり階段参道と車道とが墓地・本堂前に延びていた。階段を法雲寺本道へ向かう。目の前の庭は評判通り美しく立派である。池の左手に回って観音堂前に立つ。仏より神を祀っているかのような佇まいである。墓地の方へ回って庫裏前にでて坂を下る。向かいの尾根の右端が城山らしく見えた。巡礼女性1人とすれ違った。参道と林道との合流点でも札所巡りの冊子を持った女性2人と出会った。橋場集落の西尾根に取り付く破線路入口を探しながら白久駅に下る。民家に入る私道の入口ははっきりしているがどうにも見つからない。とうとう谷から平地に出て駅間近の昔の「巡礼道」道標に出会った。道は草に埋もれている。向かいに稲荷祠がある。狐を数えている背後を夫婦らしい二人連れが法雲寺の方へ歩いて行った。 白久駅 の構外待合室には男性1人のみ、羽生行15:06発に乗車して、西武飯能行を待つのは礒田ただ一人であった。

 6. 由緒看板覚書
・熊倉城跡
熊倉城跡は、城山(六四八メートル)山頂の幅四0メートル、長さ一六〇メートルほどの平坦地を中心に展開している。二条の大きな空堀や多くの土塁の跡がうかがわれる山城である。城跡の外郭は急傾斜がほとんどで、まさに要害の地であったと思われる。関東管領山内上杉氏の家宰長尾景信の死後、上杉顕定は景信の弟忠景を家宰とした。しかし景信の子景春はこれに不満を持ち、文明6年に主家上杉家に反旗を翻した。これを知った扇谷上杉氏の家宰太田道灌は文明10年には景春を鉢形城から追い出し、文明12年6月には景春の籠る熊倉城を攻め、ついに景春を降伏させた。熊倉城には井戸がなく,谷津川上流より引水していたが、城攻めの折発見されて落城したといわれる。また日野、白久にはこの熊倉城に関する伝説も多く残っている。

・法雲寺
秩父札所三十番法雲寺 市指定史跡 臨済宗建長寺派の寺院で、開創は十三世紀中ごろの鎌倉時代である。本尊は如意輪観音で唐の玄宗皇帝の作といわれる。皇帝が戦場に会って楊貴妃の冥福を祈り、観音の御心にすがる真情がうかがえて、美しく尊厳に満ちたものである。堂宇は江戸初期には観音堂、本堂、仁王門等を備えていたが嘉永年間火災に遭い、観音堂のみを残し悉く消失した。昔日の面影を残す観音堂と四季折々の花で彩られる浄土庭園との調和は見事であり、訪れる人々の心を和らげてくれる。

(記 礒田武志)