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埼玉県 上武山地 粟野山(676.4m)~金岳P5(551m)

 粟野山山頂
  

【日付】2021年07月26日(月曜日)

【メンバー】 礒田武志: 新座市の新型コロナウイルス累積感染者数1252人につき、単独

【行動日程】      
【交通】
(往 路)北朝霞武蔵野線(府中本町行)06:55-07:06新秋津/秋津西武池袋線(飯能行)07:19-07:47飯能西武秩父線(西武秩父行)07:53-08:43西武秩父/西武秩父駅[西武観光バス]秩父吉田線(吉田元気村行) 09:05-09:44吉田下橋

(復 路)龍勢会館 [西武観光バス]秩父吉田線(西武秩父駅行) 15:43-16:31西武秩父駅/西武秩父西武秩父線(飯能行)16:38-17:26飯能西武池袋線快速(池袋行) 17:28-17:55秋津/新秋津武蔵野線(南船橋行)18:08-18:18北朝霞/朝霞台東武東上線(森林公園行)18:22-18:24志木

【コースタイム】 
吉田下橋バス停9:48→10:40岩崎神社→10:56室久保車道末端近く「粟野へ県道へ」道標→11:15巻道尾根道分岐→12:25粟野山12:27→13:14鞍部(尾根520m)「粟野へ県道へ」道標→13:27金岳(P5)13:34→13:49鞍部(尾根520m)「粟野へ県道へ」道標→14:03巻道尾根道分岐→14:13室久保車道末端近く「粟野へ県道へ」道標→14:27岩崎神社→15:05椋神社15:13→15:24龍勢会館→15:38バス停
[歩行時間(休憩を含む)]  5時間50分

【コメント】
1. 動機 
コロナ禍が続いている。07/26の時点で東京都は08/22まで緊急事態宣言、埼玉県は同じく08/22まで蔓延防止等重点措置、新座市は07/22から08/22まで重点区域に入った。埼玉県内を歩くのがせいぜいだ。コロナ太りを解消できず、このままでは筋力衰えが一向に回復しない。
昨年初夏以来、「日本山名総覧18000の山」に載せられている埼玉の山201の中の未踏・未記録の山を近場から登ることとしている。金岳はその一つである。 今回の問題はコースにある。山と高原地図22 1998年版奥武蔵・秩父(昭文社)には金岳の名はあるが粟野山にはない。登山コースすなわち赤実線や破線の記載がない。吉田町役場近くから粟野を通る作業道茶色破線があるだけだ。幸いにも新ハイキングクラブ688号2013年02月P40に「特集金岳ー粟野山」の記事があった。金岳P5からP2まで約1時間で往復している。これを基本にネット山行記録を閲覧すれば一人歩きを楽しめるデータが得られるに違いないと思った。
梅雨が07/16に明けて真夏日が続く。炎暑と午後の雷雨を恐れて近場の山にさえ出かけられない日が過ぎる。台風が続けざまに6号、8号と発生し、8号は07/27頃に関東から東北のどこかに上陸するという。前日なら嵐の前の静けさと涼しさが期待できる。そこで急遽07/26に出かけるべく07/25に登山計画書を作成し山行管理者に提出した。

2. 天気・気温・体調・装備
2.1. 天気・気温
当日早朝の天気予報によれば 「26日は、関東は日中晴れ間がでますが、夜は台風8号の北上に伴って湿った空気が入り、雨や雷雨になるでしょう。激しく降る所もありそうです。台風8号は火曜日(07/27)に東北や関東に接近、上陸する恐れがあります。秩父市 晴時々雨 真夏日 最高32℃最低24℃ 時間6-1212-18 降水確率10%40% 風 北東の風後南西の風」であった。幸運なことに当日現地には降雨なし、曇り時々晴れであった。翌日の報道では、「秩父市、気温最高31℃最低24℃」とのことである。

2.2. 体調
いつものように志木駅から北朝霞駅まで歩いて体調を事前チェックした。どこも問題はない。熱中症予防のため吉田下橋バス停から龍勢会館バス停までマスクを外して歩いた。マスクを外した間、遭った人は県道工事関係者だけである。もちろん変異コロナウイルス流行中であるから電車内、乗り継ぎ経路、駅の構内、バス車内ではマスクをかけた。

2.3. 装備
金岳への滑りやすいザレ巻き道、岩場、粟野山の急斜面、薮に備えて軽登山靴を、念のため日焼け止めを顔に塗り、帽子、長袖シャツ・長ズボンを装着した。コロナ禍中であるので人手が多い場所ではマスク必携。

3. コース
3.1. 見どころ
・展望 粟野山も金岳P5も木々に囲まれて展望がない。P4からP2は好展望だということだ。次回のお楽しみ。
・三角点マニア 粟野山山頂に三角点676.4mがある。
・信心 岩崎神社(新井地区)、椋神社(下吉田)がある。天狗の石も信心の内か?
・遺跡並びに歴史的建造物 秩父事件で有名な椋神社
・自然・動植物
 阿熊川 下流の子の神の滝、上流に明るい渓谷
 ヤマユリの香、蝉しぐれ

3.2. 安全・ハザード
3.2.1 道迷い
・粟野山周辺にあるはずの地形図破線路は失われている。尾根筋、谷筋を眺め、地図読みして往復に使うなら往路で要所に目印をつけるくらいの用心が必要だ。
・粟野山南東尾根と金岳尾根の分岐 ここまで東から尾根を登って来たが広くて平らな杉植林に、期待していた金岳尾根方向を示す目印や目立つ踏み跡など見つからなかった。そのため粟野山頂上にまっすぐ向かった。しかし南へ曲がって金岳尾根を確認し帰ってきてもそんなに時間はかからなかったはずと反省している。
・粟野山南尾根 頂上から黄色テープ目印を一つ二つ確認し急斜面の踏み跡を薮の木を掴んで下ったがすぐに踏み跡が消えた。南尾根から金岳尾根へつなぐ等高線580mの破線巻道を見つけるため谷を下ったものの成功しなかった。そこでさらに谷を下って金岳尾根へ登った。破線路は消滅。粟野山頂上から往路を辿って金岳尾根を探した方が賢明であったとこれも反省している。
・粟野山南東尾根と金岳尾根の分岐から東に伸びる尾根に巻道から登ったのだが、東に向かう尾根は広く平坦な植林地になっている。尾根を分岐から素直に下ると標高点467の峰に行ってしまう。急斜面から東に向かう広く平坦な尾根に登り着いたら目立つ目印を結びつけると復路に使う場合でも道迷いはないと思う
・恥ずかしい話、復路で室久保集落の車道から舗装歩道へ下る入口を間違えた。ルンルンの達成感で下り歩いていたら民家の庭入口に突き当たった。引き返して往路で聞いたボーリング作業の音を頼りに車道を下ったが今度は登って来た入口を通り過ぎた。疑心暗鬼のせいもある。次の歩道降り口から作業場に下ることができた。
・龍勢会館バス停は龍勢会館から外れた旧道にある。龍勢会館はこれまで複数回、休憩に使わせてもらったがバス停を見たことがなかった。広い駐車場、交差点、主要県道を右往左往した。ネットでバス停位置検索をしていたならばこんな事にはならなかったはず。

3.2.2. 薮・倒木
・粟野山への往路には薮・倒木なし
・粟野山頂上から南尾根平坦地までは急傾斜だが薮の木々を掴んで下った。その他、薮なし
・粟野山南尾根と金岳尾根の間の谷底には間伐材、倒木の累積がある。堆積を見たら金岳尾根へ巻きあがるべし。
・粟野山南東尾根と金岳尾根の分岐から金岳尾根を下ると岩場巻道を大きな松の倒木が塞いでいた。
・金岳への最善のアプローチである巻道には竹、倒木が3カ所ほど横切っていた。潜ったり、少し巻いて踏み越えたりすれば躱わせてしまう

3.2.3. 岩場・急坂
もちろん岩場やザレ巻道を楽しむ金岳P5~P1をハザードとしてここでは記すのは的外れ。
・粟野山頂上から南尾根平坦地までは急傾斜。粟野集落の方はこの急斜面を生活に使ったのだろうか?
・金岳尾根が尾根鞍部520mと出会うまでの間に岩場があった。岩場の左右(東西)に踏み跡があるように見える。急斜面の西側を避けて東側に巻いたが大きな松の腐木が倒れて踏み跡を塞いでいた。倒木の枝を掴んで乗り越えたが里山にしては珍しい体験であった。

3.2.4. 気温・衛生害虫
往路で杉植林に入ると目の周りを何匹もの小虫が舞った。吸血性ではないようだった。手で払え、微風が吹くと消えた

4. 歩いてみての感想
・椋神社へ行くのも、岩崎神社に行くのも西武秩父駅発西武観光バスなら吉田下橋BSがベスト。自家用車なら岩崎神社先の橋を渡ると阿熊公共トイレ無料駐車場があるそうだ。椋神社には大駐車場がある。
・粟野山、金岳P5~P1へ登るのは巻道を通って鞍部(尾根520m)「粟野へ県道へ」道標まで行くのがベスト。今回往路の粟野山への尾根コースを下山時に使うなら直進しすぎないよう注意が必要。往復するなら要所に目印巻き付けが必要と思う。地形図、登山地図の破線は跡形もない。広くて平坦な尾根で、尾根が分岐しているのに加えて杉檜の植林が覆っている。このような複数場所で古典的なコンパス+地図読みでコースを辿るのは大変難しい。
・時間切れで金岳P5~P1を歩けなかった。残念。山慣れ・岩慣れしている方には楽しいコースらしい。
・盛夏に後期高齢者が里山歩くものではない。コースに水場がなかった。新緑、落葉の頃が良さそうだ。
(記 礒田武志)

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(写真 礒田武志)
 
 6.記録
6.1. 吉田下橋バス停から岩崎神社まで
吉田下橋バス停から下吉田駐在所(交番)まで北東にすこし引き返して左折、県道R286(番号が間違っていたら御免なさい)を北に歩む。交番横に観光案内地図看板がある。案内地図で現在地を確かめ地形図と照合した。川の方から鶯の囀り、クロアゲハが舞う周りの木々からニイニイゼミ、ミンミンゼミの鳴き声、右手の方からヤマバトの声が聞こえた。のどかな田園だ。分岐で椋神社へ向かう車道と分かれて一本道を北上する。豚舎あるいは厩肥の臭いが漂う。時々小型車と出会うが道路が急に狭くなり、あの車はどこから来たのかと疑ってしまった。頭上に主要な県道37が橋となって阿熊川と県道286を跨いでいる。広くなった県道を川沿いに進むと県道37から分かれた道と合流した。なるほど車と出会うわけだ。県道の東側が開け、草地に隠れたキリギリスの鳴声が聞こえた。放棄された畑ではキリギリスの合唱が響く。分岐左に橋がかかり椋神社の方へ南下している。帰りはこちらへ進もう。
県道を北上して彦久保集落に向かう。右に県立西秩父自然公園看板が立ち、法面に階段があった。陽射し強くなった彦久保集落に入ると畑のキリギリス鳴き声が溢れるようになった。吉田阿熊イラストマップ看板を見つけ再度現在地確認をした。先ほどの橋の近くに「子の神の滝」という名所があったらしい。県道は阿熊川から離れ左右に民家が立つ。県道の西側民家脇に祠と石碑があった。イラストマップには紹介されなかったようだ。再び県道が阿熊川と会う。見下ろす阿熊川には実をつけたキササゲが並木になっていた。右岸へ橋を渡る。西の法面下に「守岩太吉の墓」と案内標が立ち、見ればその上に墓地がある。谷間が次第に狭くなるが明るい。ヒグラシの声が聞こえ始めた。右岸から左岸へ橋を渡る。頭上を大きなサギ(アオサギか)がゲーゲーと鳴きながら川を遡って行った。地形図では守岩地区に入る。キビタキらしいの囀り声が聞こえた。左岸の道路法面を工事中で重機が動き、暑い中一方通行の交通整理が行われていた。
田代橋を渡って右岸に移ると直ぐに「天狗の石」説明看板が目に入った。日本昔話風の文章が面白い。天狗の石基壇に山百合が咲いて香りが広げている。とはいえ石はどこにあるのだろうか。岩崎神社の参拝道が見えてきた。参拝道路分岐までマップファンで3.5km車で8分、後期高齢者では約45分の緩歩であった。なお岩崎神社から指呼の分岐右手の橋をわたると阿熊観光トイレ・阿熊集落センター無料駐車場があるそうである。参道を登り拝殿への階段に取り付いた。

6.2. 岩崎神社から室久保車道末端近く「粟野へ県道へ」道標まで
階段を登って拝殿前に立ち、まずは礼拝し、拝殿横から杉林に続く踏み跡に入った。踏み跡はU字の舗装細道に突き当たる。なんだ県道から舗装歩道が上がってきて斜面を登っているのだ。舗装歩道を左上に進む。杉林の中をジグザグに上り明るい緑の畑(栗畑?)下の巻道に出た。巻道を南に進むと新井集落に入る。空き地でボーリング工事が行われていた。リズミカルな掘削音が続く。作業員の方に目礼して邪魔にならぬように進んで室久保集落の車道に合流した。西正面左手斜めには金岳の尾根だろうか3つ小峰が立っている。「新井駒吉の生家」との道標が立ち、車道から分かれて下る道がある。一般道と私道が同じくらいの幅なので紛らわしい。ようやく粟野への徒歩道分岐が見えた。倉庫の前に軽自動車がとまっている。広い車道は奥の民家の方へ伸びている。粟野への道は細い歩道だ。通り過ぎないように注意しておくことだ。室久保車道末端近くのここには「粟野へ県道へ」と記した道標が立っている。

6.3. 室久保車道末端近く「粟野へ県道へ」道標から巻道から尾根道への分岐まで
「粟野へ県道へ」道標(GPSL標高357m)を脇見してツクツクボウシ、ニイニイゼミ、鶯の声を背に再び杉林の木陰に入る。爽やかな草いきれに加えて濃厚なユリの香りが届く。分岐した民家に続く舗装道の傍らに大輪のヤマユリが咲いていた。農園、民家を眺めながら舗装農道を道なりに登る。農園の入り口は害獣が侵入しないようにネットフェンスで塞がれていた。そういえば猪注意との黄色看板がどこかにあったような気がする。舗装農道から土道が分かれるが「粟野へ県道へ」標識があるので迷うことはない。土道を登って最上部の農園を過ぎると林に入る。ここからは南斜面を巻く歩き易い道を進むことになる。尾根へ登る踏み跡はないか? ピンポーン!広葉樹大木の先に尾根にあがる分岐があった。

6.4. 巻道から尾根道への分岐から粟野山まで
踏み跡を尾根へ上がる。本当の尾根はまだ先でここは尾根から派生する斜面取り付きに過ぎなかった。里に近いせいか杉林が竹に侵略され、細い杉が立ち枯れて腐っている。地面は笹の葉が覆って白い。登るにつれ次第に竹が消えて北東尾根の尾根道に着いた。広くて緩やかな尾根なので粟野山をピストンするならば下山に際して北東尾根を直進して迷い込む可能性がある。目印が欲しい。尾根斜度が大きくなるが再びすぐに斜度小さくなる。杉植林から落葉広葉樹林へ代わると気分も明るくなる。だがすぐに杉が植えられどこでも歩くことができる平坦な尾根の広がりに入る。南へ延びる金岳尾根へ分れる踏み跡か目印があるはずだと暗い植林地を目を皿にして探すが見つからない。広い尾根に整然と並んだ杉檜植林を通って幾分細く尾根らしい場所に出た。金岳尾根分岐を過ぎてしまったと判断してまずは粟野山頂上を目指すことにした。迷うことがないと思われる杉植林の細尾根で今日初めての目印テープ(GPSL・等高線630m)を見つけた。二か所もある。腕時計を見て予定より遅れていることに気づいた。その瞬間に里から正午のチャイムが届く。ここで(GPSL650m)昼食とすることにした。ヒグラシ合唱が蝉時雨となって麓から頭上まで登り続いている。昼食後、檜植林並木道を登る。時折、脚もとからもヒグラシが飛び出す。最後の急登が終わると林の先に隠れた粟野山の頂上が見えた。

6.5. 粟野山から鞍部(尾根520m)まで
粟野山山頂には三角点675.4mと木に巻き付けた山名板があった。三角点峰は展望ありと期待したが木々に囲まれてそれがない。黄色テープが目に入った。南への下る地形図破線路入口に違いないと喜んだ。小木、薮で覆われた尾根を急降下する。すぐに目印も踏み跡も見当たらなくなった(帰宅後ログを見たら破線は西斜面を巻き下り尾根筋にはない)。急斜面を下って平坦部(GPSL625m)に着いた。金岳尾根は谷を挟んだ東隣にある。東斜面を20~50m下ればもう一本の破線路に届くはずと考えて東斜面を下った。斜面には獣道のみ、破線路と思われる踏み跡は見つからなかった。金岳尾根の鞍部は等高線で520m、谷を渡り標高520mまで巻けば出くわすはずとまずは谷底へ下った。歩き良い踏み跡はすぐ消え、谷底は間伐材・倒木が積み重なり通れなくなった。仕方なく、「谷の左岸を標高600mで巻き登れば金岳の尾根に乗ることができる」と谷を横切って左岸の踏み跡(獣道?)に進んだ。谷間にはサンコウチョウの囀りが響く。左岸を巻き登って尾根に出た(トラックログで見ると破線末端)。ここから尾根を下る。思いがけず岩場がある(GPSL575m)。左右に踏み跡があるようだが東の踏み跡を辿る。選んだ踏み跡を赤松大倒木が塞いでいた。掴める枝でバランスをとり太い幹を跨いで乗り越した。下って倒木と岩場を振り返る。残りは平凡な踏み跡となり鞍部(尾根520m)についた。「粟野へ室久保へ」標識が立つ。

6.6. 鞍部(尾根520m)から金岳P5往復
時計を見てバスの発車時刻からP2までの所要時間を引き算する。時間切れと判断して金岳P5のみ、P4~P1は次のお楽しみにした。P5に向かう巻道目前に岩場がそびえたつ。ここから有名なザレ巻道に入ることになる。驚いたことに目印テープ点々とついていた。粟野山を登る人はわずかだが金岳はかなり多いとの示唆だ。ザレ巻道もP5登りも滑りやすいところは木の根、細い木、岩を掴んで進めるようになっていた。 金岳P5に着いて見回すと岩なし土のみの広葉樹林中の空き地だ(帰宅後トラックログを見たら551m点ではなかったが)。見回す限りではここが最高点と思われた。 歩き回って下山口の目印テープに帰り着いた。後はまず木の根、細木、岩などを掴んで下に見えるザレ巻道に着くことだ。降下斜面の目印テープが複数ルートがあることを示している。紛らわしい。安全そうなルートを選んでザレ巻き道に下り、ザレを注意して鞍部(尾根520m)に帰った。

6.7. 鞍部(尾根520m)から尾根への分岐を経て室久保車道末端近く「粟野へ県道へ」道標まで
鞍部に帰還して杉林斜面の巻道を下る。すぐに分岐に出会う。P5へのザレ巻道に直接繋がるようだ。金岳の人気がわかる。巻道は歩き易い。と思ったら雨裂上部からの倒木が道を塞いでいた。回り込んで巻道を下ると次の倒木があった。この倒木は下を潜る。周囲の植林にやはり竹が混じり始めた。竹の葉に覆われた巻道を下ると枯竹が頭上に倒れていた。あとは普通の山道だ。往路に使った尾根への分岐を左手に見て植林の中から巻道端の最上部農園に帰ってきた。猪垣ネットフェンスの中を見るともうイチョウに緑のギンナンが幾つもぶら下がっていた。キウイも実っている。農園の傍らには椋神社の御札が重ねて結び付けられてあった。もう民家の屋根が見える。私道脇の山百合から濃い芳香が再び届いてきた。舗装歩道の先に室久保車道末端近く「粟野へ県道へ」道標と倉庫が見える。

6.8. 室久保車道末端近く「粟野へ県道へ」道標から岩崎神社を経て椋神社まで
「県道へ粟野へ」の道標地点に帰着した。倉庫前に軽自動車が変わりなく止めてあった。ここからは往路に歩いた車道を右手に岩崎神社への舗装歩道降り口を探しながら進む。これぞと思った道に入り進むとなんと民家の庭入口に着いた。庭先をお邪魔して通らせて頂こうかと一瞬思ったが上の車道へ戻ることにした。今度は車道を歩み過ぎて往路に出てきた降り口を通り過ぎてしまった。私道と公道の区別がつかない。記憶した特徴を思い出すか撮影した画像を検索して見直すべきだった。ボーリング工事の音を頼りに歩道降り口を見つけて舗装歩道へどうにか入ることができた。舗装歩道を下る。岩崎神社拝殿を右手に見て県道に出た。 県道には立派な鳥居が立っている。鳥居から拝殿に向かってまずは感謝の礼拝をした後、岩崎神社由緒を読ませて頂いた。後は県道286を下る。ほぼ10分毎に橋を渡り河岸を代える。途中、シマヘビの子供やウスバキトンボを見つけた。午後になったせいかキリギリスや蝉の声は小さい。復路は分岐を橋の方へ直進し、子の神の滝を橋の上からのぞいた。小さいが面白い滝だ。あとは田園の中を県道に向かう。工場の作業音が響く中、県道を渡って北を振り返ると山裾に龍勢の櫓が見えた。金岳の峰々は前尾根の影かどこか分からない。踵を返して椋神社の大鳥居の前に立った。

6.9. 椋神社から龍勢会館BSまで
椋神社大鳥居を潜って境内(神域?)に入る。まずは左手の小さめな鳥居に大きな輪が結ばれている(有名!)のを見た。ぐるりと回る。奉納された龍勢が軒に陳列してあり、さらに足を運ぶと椋神社由緒がある。椋神社拝殿前に出て参拝する。拝殿を出て大鳥居に歩む前に椋の落果を見つけた。見上げた椋ノ木はまだ若く、由緒にある大木ではない。 ところで歴史的な秩父事件を紹介する看板などが見つからなかった。どこかにあるのだろうが。腕時計を見てダンプなどが疾走する県道を龍勢会館へ向かった(吉田下橋の方が近かったのに)。道の駅なら涼しい日影があるはずとの期待である。県道は緩やかな峠道になっている。南側の畑にオミナエシの行列株が黄色い花穂を並べ立ていた。 龍勢会館に到着してまずはバス停を探す。この道の駅には複数回お邪魔していたがバス停があった記憶がない。 まずは龍勢茶屋直売所でミニトマトを買ってキャッシャーの方にバス停の場所を尋ねた。あることは分かったがそちらの方歩んで主要県道沿いを探すが姿がない。引き返して今朝のバスが通った旧道の出光給油所で作業中の店主の方にお聞きした。交差点を渡って旧道30m先とのこと。 聞きまわってようやく見つけたBSは旧道の民家向かいの空き地前にひっそりと立っていた。一安心して、買ったミニトマトを摘まんでバスを待ち、猛暑山行を終えることができた。
 7.備忘 
7.1. 看板説明 天狗の石
 むかし、むかし。金嶽山に天狗がおったそうじゃ。山頂より見渡すと、眼下に阿熊川がとうとうと流れ、対岸の山々は、見事な山容を見せ、まるで?風のように連なった何とも言えない素晴らしい景観だそうな。ある日、天狗は右手に羽根うちわ、左手に至宝の石を持って散策中、過って石を落としてしまったと。石は山坂を滑り落ち、旋風を巻き上げながら転がり田代橋の裾でようやく止まったと。夜の阿熊路は真っ暗。人気がなく寂しい。数条の星の影を受けた石は、淡い怪しげな光を点して辺りを照らしていたと。石の噂は早い。”触れる。撫でる。腰を掛ける。” 宝石のように磨かれた輝く石の魅力に陶酔。なかには「家に持ち帰り我が家の宝にしたい」と考えた者もいたとか。天狗は激怒し、神通力を石にかけて疫病を起こしたと。得体の知れない病に苦しむ村人の様子を知った庄屋は、鎮守の神々の力にすがろうと、石の傍らに石祠を祀り、寺窪の神官に「天狗の鎮静、疫病の平癒、併せて村人の和楽」の祈願をお願いしたと。宮司の熱心な祈?により、天狗の怒りも鎮まり、村人挙って、安楽な普段の暮らしにもどったと。天狗の石も庄屋の計らいで台座が組まれ、目出度く末永く安霊保存されたと。

7.2. 岩崎神社「歴史」
当社は、城峰山にたてこもった平将門を滅ぼした藤原秀郷が、伊豆の三島神社を勧請したことに始まるといわれ、その社名については、秀郷が、城峰山を射た矢が落ちた場所を意味する「矢崎」が転訛して「岩崎」になったと伝えられています。氏子は”明神様”と呼びます。「御祭神」大山祇命・木花咲耶姫命・岩長姫命 「祭り」 「新編武蔵風土記稿」に、祭日は九月十五日と記されていますが、明治末期に養蚕を行うようになってからは、十月に行われるようになりました。この時期は柿が実る頃で、神饌に柿が沢山上がるため”柿祭り”とも呼ばれたと言います。 金嶽会

7.3. 椋神社御由緒 秩父市下吉田七三七七 
◇延喜式内の古社、例祭に国指定重要無形文化財の龍勢花火がある。当社の創紀については、「日本武尊当地赤柴にて道に迷われた折、お持ちになった鉾の先から一条の光が走り、その方向に大きな椋の木が立ち、根元の泉近くに猿田彦大神が立たれ、赤井坂に導かれる。これにより大勝を得たので、尊は喜ばれて井泉の辺りに鉾を神体として猿田彦大神を祀り給うた。これを当社の創めとする。鉾より光の出たところを光明場(あかしば)という」と伝えるのが卜部兼敏「椋五所大明神由来」享保十年(1725)の記載である。永禄十二年(一五六九)の武田勢の侵入による秩父谷の社寺焼打ちで社殿焼失、天正三年(一五七五)に鉢形城主北条氏邦が五宇あった神殿を一宇に改めて現在地に再建、社宝には、氏邦公寄進と伝える筋兜の優品(埼玉県文化財)が現存する。現在の本殿は、寛永四年(一六二七)に修理を加えたもので、脚元の細い蟇股などに古様を遺している。明治一五年(一八八二)に県社となり、大正二年(一九一三)には近隣の二十三社を、同五年(一九一六)に同宇の八幡社を合祀した。八幡社は「新編武蔵風土記稿」も「若宮八幡社」とある社で、享保十二年(一七二七)の同縁起によると、秩父平氏の祖、将経の子武基が当地に土着、その子秩父十郎武綱が館の鎮守に勧請したもの。現在の同社本殿は、本社右手に鎮座、旧拝殿は本社拝殿として移築されている。永禄の兵火まで本社が鎮座した旧社地には、現在「井椋塚」と呼ばれる古塚があり、天鈿女命を祀り、塚上の桜木を鈿女桜と呼ぶ。
◇御祭神  ・猿田彦大神 ・天鈿女命 ◇お祭日 ・例祭(十月第2日曜日) ・龍勢花火(平成二十九年度国指定)

7.4. 秩父観光協会 秩父事件 
1884年、明治17年11月1日、悪徳金貸や政府の悪政を批判し、貧民の救済を訴えておこした日本近代史上最大の農民蜂起。秩父困民党軍は西南戦争で西郷軍が押したてた「新政厚徳」の旗をかかげて行進したという。三千余名にも及ぶ農民が椋神社に集結、困民軍二大隊を編成。役割を命じ、五ヶ条の軍律をを定め、一般の住民に危害を加えることを厳しく戒めた。小鹿野町・大宮郷(現秩父市)へ向け一斉に蜂起。11月2日、大宮郷に入って郡役所を占拠、3日荒川河畔で憲兵隊と交戦して撃退、4日・5日上州金屋と粥仁田峠で鎮台兵と交戦したが破れ、本隊は解散した。 だが、一隊は十石峠をこえて信州に転戦、9日の東馬流の戦闘を最後に潰走した。この事件の主力は、吉田である。旧吉田町の加藤織平が副総理、井上伝蔵が会計長、飯塚森蔵が大隊長、以下高岸ら多くの幹部を輩出した。 組織は秩父の村々から上州にまで及んだ。