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埼玉県 大宮台地 本杢古墳(19.8m)と与野の大榧

 埼玉最低山のひとつ本杢古墳
  

【日  付】 2021年07月11日(日曜日)

【メンバー】 礒田武志: 新座市の新型コロナウイルス累積感染者1088人につき、単独

【行動日程】
【交通】
(往 路)北朝霞武蔵野線(南船橋行)13:54-14:01武蔵浦和埼京線(大宮行)14:08-14:12南与野

(復 路)南与野埼京線快速(りんかい線直通新木場行)14:56-15:01武蔵浦和15:03-15:10 北朝霞/朝霞台東武東上線急行(小川町行)15:18-15:20志木

【コースタイム】  
南与野駅14:12→14:23本杢古墳三角点14:30→14:43与野の大榧14:45→14:54南与野駅 [歩行時間(休憩を含む) 0時間42分]

【コメント】
 1. 動機 
 コロナ禍が続いている。緊急事態宣やら蔓延防止等重点措置やらで埼玉県内を歩くのがせいぜいだ。コロナ太りを解消できず、このままでは筋力が衰えをいつになったら回復できるのだろう。
 本やネット情報によると埼玉県の最低山は少なくとも4つある。 まず山とは、周囲よりも高く盛り上がった地形や場所のことをいう(ウイキペディア)らしい。高くとは何mかはきまってないようだが異論はない。 国土地理院の地形図に記載されているか否かで議論が始まる。地形図の三角点、基準点、標高点の他、地名(山、峰、岳、嶽など)の記号、数字、名称などがMustかNeedかでマニアに違いが出るようだ。 さらに自然の山か、人工の築山かで取捨選択が始まる。
・三ケ尻 観音山  77.4m 一等三角点補点(熊谷市大字三ケ尻)の自然の山だ。
・丸墓山 35.7m 二等三角点(埼玉、埼玉県行田市埼玉)は古墳だから人工の築山である。
・本杢古墳 19.8m ニ等三角点(さいたま市桜区中島2-184-1)には山という地名がない。
・浅間山 15m(さいたま市大宮区浅間町二丁目)は国土地理院地形図にその名はない。築山だが地元でセンゲンヤマと呼ばれ日本山名総覧18000の山(武内正 白山書房 1999初版)などに記載されている。
  梅雨後半の不安定な天気の日が続き、午後の雷雨を恐れて近場の山にさえ出かけられない。降り出したらどこかに逃げ込める市街地にある 埼玉県最低山の一つである本杢古墳に散歩のつもりで行ってみることにした ついでに近くにある天然記念物の「与野の大榧(カヤ)」を見てみたい。

2. 天気・気温・体調・装備
2.1. 天気・気温
 予報によれば「11日も全国的に大気の状態が不安定です。東海や関東甲信は午後は所々で非常に激しく降るでしょう。さいたま市では注意報(雷)が出ており曇一時雨かつ真夏日、最高31℃最低23℃ 時間12-18 降水確率60% 風 北東の風後北西の風」とのことであった。与野の大榧を見た後大粒の雨が降り出し、南与野駅構内には雨宿りの方々の姿が見えた。翌日の記録では さいたま市 最高32℃最低22℃であった。

2.2. 体調
 いつものように志木駅から北朝霞駅まで歩いて体調を事前チェックした。どこも問題はない。曇天下街歩きで真夏日であったが熱中症の恐れはなかった。変異コロナウイルス流行中であるからマスクをかけた。

2.3. 装備
 一般的街歩きハイキング装備で十分であった。念のため日焼け止めを顔に塗り、帽子、半袖シャツ・長ズボンを装着した。コロナ禍中であるのでマスク必携。与野の大榧から南与野駅の間で雷雨が襲ってきた。折り畳み傘を広げて凌ぎ駅に急いだ。

3. コース
3.1. 見どころ
・展望 本杢古墳は本杢緑地の中にあり木々に囲まれている。古墳の高さが約4.5mで周りは住宅地であるので展望はない。
・三角点マニア ロープ柵で囲まれた本杢古墳の上に二等三角点がある。 なお本杢古墳はさいたま市の三角点最高山、埼玉県の三角点最低山 と言われている
・信心、与野の大榧は金毘羅天に祈願するのもよい。
・遺跡・歴史的建造物 本杢古墳は土谷古墳群の北端にある。方墳を巡ったのは人生初めてか。  
・植物  与野の大榧 樹齢約一千年、関東一の大木。

3.2. 安全・ハザード
3.2.1 道迷い
 さいたま市の市街地にあるので南与野駅から本杢古墳、与野の大榧への道標、目印赤テープなどはない。市街地図や国土地理院電子地図を片手に住所表示を頼りに進むだけだ。南与野駅から西や北西にほんの500m、10分弱離れているだけだ。迷ったら歩いている人に尋ねたらよい。なお本杢緑地の東に同じような緑地がある。ちょっと迷い込んだ。本杢緑地の近くには目印になるアンテナが立つ。
3.2.2. 薮
 本杢緑地は本杢地区のボランティアの方々が整備されている。雑草や笹は刈り払われ、落ち葉も片づけられていた。
3.2.3. 岩場・急坂
 もちろん岩も急坂もない。交通ルールを守って市街地を歩くだけだ。
3.2.3. 衛生害虫
梅雨末期であったがどこにも虫は飛んでいなかった。

4. 歩いてみての感想
・本杢古墳の2等三角点を確認できたのは嬉しい。古墳は大切な文化財なので傷つけないように大切にしたい。
・三角点のある埼玉県の最低山とのことだが山と名がついていない。最低山マニアには異論がある。人が築いているので認めないという人もいる。それに反して盛り上がっているのだからおおらかに認める方がいる。私はだんだんとおおらか派になって来た
・本杢古墳がさいたま市の最高点という説もある。新座市の最高地点は新堀二丁目、標高点40.5m
・与野の大榧 久しぶりに栢の大木をみた。境川町智光寺の大カヤと比べてみたいものだ。

(記 礒田武志)

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(写真 礒田武志)
 
 5.記録 今回はなし
 6.覚え書 看板案内
6.1 本杢古墳 浦和市指定史跡 
 本杢古墳があるこの場所は、大宮台地と呼ばれる洪積台地の西端にあたり、荒川の低地を望む台地の縁辺部になります。古墳の現状は、東側と北側とが道路などによって削られていますが、全体としてはよく墳丘を残しています。平成4年に実施された墳形を確認するための発掘調査では、古墳の周囲に幅約1.5m、深さ約1mの堀が四角く巡らされていることが確認されています(墳丘を保護するために設置された柵は、ほぼこの堀の対角部に沿っています)。これにより、本杢古墳は一辺が20m以上、高さ約4.5mの規模を持つ、古墳時代後期の方墳であることがわかりました。この付近では、すぐ近くの与野市今宮2号遺跡から同時代の方墳が発見されています。また、本杢古墳の南側、台地の先端部付近からは、六世紀初頭の円筒埴輪が出土しています。かってはこの付近に多くの古墳が存在していたようで、一つの古墳群として捉えられるものと考えられます。平成13年3月 浦和市・浦和市教育委員会 

6.2伝説 大榧と金毘羅天 
 今からおよそ千年の昔、後一条天皇の長元年間、鈴谷に一本の榧の木が植えられた。それからおよそ三百年ほど経った鎌倉時代になると、榧の大木の傍らに心浄寺(禅宗建長寺派)の寺が建てられ、その榧の木を神木として崇め、金毘羅天も祀られた。時は応永十五年(1408年)の春、時の住僧周如禅師は法華経を信じるようになった。そしてある名月の夜深く、一心に座禅していた周如禅師の前に守護神の金毘羅天がまぼろしのごとく現れ、「明日高僧来たり厚く尊徳せよ」とのお告げがあった。その当時、下総中山の法宣院という日蓮宗では寺格の高い寺に、日英上人という高僧がおり、周如禅師と時を同じくして「わしは武州鈴谷郷に鎮座する金毘羅天なり。この地にようやく布教の機が熟したので上人が来て教えを広め、衆生を救え」というお告げを受けた。日英上人感極まって、直ちに身支度を整え、はるばる鈴谷の周如禅師を訪ねてきて、お互いに霊感があったことを語り合い、法論を重ねること数日、周如禅師は日英上人の弟子となって、名も日性と改め、寺名も法華道場(妙行寺)と改称したということである。

6.3国指定天然記念物 与野の大カヤ 
 所在地 さいたま市鈴谷四丁目四十四番妙行寺金毘羅堂境内 大カヤは、イチイ科の常緑高木で、葉は扁平線状、革質で厚く、先端はとがっていて堅い。この木は雌株で、四月中旬頃にひっそり花が咲き、秋には楕円形の実を付けます、形状は、樹高21.5メートル、根回り周囲13.5メートル、目通り周囲7.28メートル 推定樹齢は約1000年です。 縄文時代より舟材として利用されるほど水に強く堅固な木として人と密接な関係にあり、応永年間(千三百九十四年~千四百二十七年)には、関東随一の巨木として知られていました。また、「榧木金毘羅」とも呼ばれ、古くから信仰の対象でありました。 この地は、中世に「まち」の中心としてたいへん栄えていました。数世紀にわたり風雪に耐えてきた太い幹と四方に張った枝ぶりからは、「まち」の歴史を見守って来た重厚さが迫ってきます。 昭和七年(一九三二)七月二五日、国指定となる。さいたま市教育委員会