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埼玉県 上武山地 塚山(954.0m)

 塚山頂上
  

【日付】2021年08月11日(水曜日)山の日休日だったがオリンピックのため9日が休日になったので平日

【メンバー】 礒田武志: 8/1~8/11までの新座市の新型コロナウイルス新規感染者数361人、緊急事態宣言発出(8/2~8/31)につき単独

【行動日程】      
【交通】
(往 路)志木東武東上線急行(小川町行)06:20-07:11小川町(埼玉)東武東上線(寄居行)07:14-07:31寄居八高線(高崎行)07:47-08:11群馬藤岡/群馬藤岡駅前に8:15GPSL on8:30→バス停探し8:16スズメ、ハト、ツバメ→バス停時刻表確認8:17/群馬藤岡駅[多野藤岡広域路線バス]奥多野線(しおじの湯行) 08:42乗車して現金のみ取り扱いと分かった。発6:47 先客1人のみ、運転手背後席「マスクを正しく」と注意された8:49-途中で男性3人乗車、9:06高山社経由→サルスベリ、クサギ→09:49太田部入口到着バスはトンネルへ9:54 

(復 路)太田部入口[多野藤岡広域路線バス]奥多野線(新町駅行)16:20-たった一人-17:18群馬藤岡駅/群馬藤岡八高線(高麗川行) 17:27-17:53寄居東武東上線(小川町行)18:26-18:42小川町(埼玉)東武東上線快速急行(池袋行)18:43-19:31志木

【コースタイム】 
太田部入口バス停9:55~10:15簗場集落最奥民家~11:23尾根切通~12:53塚山954.0m~13:04塚山神社跡~13:38「太田部塚山古墳群」道標~14:29十八神社~15:23楢尾「ムツばあさんの家」~16:14太田部入口バス停  [歩行時間(休憩を含む) 6時間19分 ]

【コメント】
1. 動機・背景 
2020年初めから続くコロナ禍の中、4度目の非常事態宣言発出により埼玉県外に出ないように要請されている。コロナ太りや衰えた筋力を回復させたい。 そこで昨年初夏以来の「日本山名総覧18000の山」にのせられている埼玉の山201のなかの未踏・未記録の山を近場から登ることを続けたい。塚山もその一つだ。 調べてみると塚山は「山と高原地図15(昭文社1997年版西上州・妙義(御荷鉾山))」では赤実線・破線の記入がない面白そうな山であることが分かった。地図にある尾根続きの土坂トンネル・土坂峠はこれまで車で何度か通ったことがある。土坂峠~尾根~塚山コースは標高差が小さい。ただ生利橋から土坂峠まで4.3km、標高差470mもあるので車なら楽々だが歩くとなると登り1時間40分、下り1時間はかかる。しかも土日に公共機関を利用すると志木を朝5:54に出て生利に8:09、復路は生利を18:24発~志木 21:51着という不便なことになると分かった。前日出発の生利泊、翌日往復するプランも立ててみた。ところがネットで塚山を検索してみると生利まで行かなくても手前の太田部入口で下車をして日帰りで塚山を3時間弱で往復している記録があった。しめた!とこれらを踏襲することにした。さらに太田部の近くの楢尾には何年か前にNHKのドキュメンタリー「秩父山中 花のあとさき」で見た「ムツばあさんの家」があるという。多数の車が往来する土坂峠を上下するより「ムツばあさんの家」を訪れる方が気持ちがいいのではと楢尾集落によるコースを立ててみた。

2. 天気・気温・体調・装備
2.1. 天気・気温
前日は関東地方に熱中症警戒アラートが出ていた。 11日の天気予報も、「関東は強い日差しが照りつけて、猛烈な暑さが続きそうです。秩父市 晴のち曇 猛暑日 最高35℃最低22℃ 降水確率0%~10% 南西の風後東の風」だ。判断に迷ったが決心して登山計画書を管理者に提出した。なお、当日の秩父市の気温は「最高37℃最低23℃」であった。 電車、バスは空調が利いて快適であった。心配していた太田部と楢尾の間の車道は晴れの間は日陰を選び、曇りの午後は影の濃いところを選んで歩いた。山の中は杉檜を主体にした林の中で微風もあり体感温度は猛暑ほどでもなかった。

2.2. 体調
熱中症にならないよう十八神社から楢尾集落までの車道を注意して歩いた。お陰で太田部入口バス停まで頭痛も疲労倦怠感もなかった。シャツ、ズボンやザックも汗で濡れた位で済んだ。靴擦れなどもなし。

2.3. 装備
道なき斜面や尾根を登り下るため軽登山靴と薮、倒木対策に手袋を準備した。日焼け防止のため日焼け止めを顔に塗り、帽子、長袖シャツ・長ズボンを装着した。熱中症予防のため水を1.5L準備し、水場があれば補給した。またコロナ感染を用心して駅構内、電車内、乗り換え場所、バス内ではマスクを掛け、人に会わぬ山中では熱中症予防のためマスクを外して歩いた。

3. コース
3.1. 見どころ
・展望 なし
・三角点マニア 塚山山頂の三角点954.0mはすぐ見つかる
・神社 塚山神社跡、磐座、十八神社がある
・遺跡・歴史的建造物 引用 秩父市吉田太田部楢尾 山あいの段々畑に花を植え続けた夫婦と小さな村の物語-18年にわたりNHKが記録したドキュメンタリー、2002年から09年迄6回シリーズ「秩父山中 花のあとさき」で放送されてました。映画『花のあとさき ムツばあさんの歩いた道』が上演されています
・古墳群 行けなかったので引用 秩父市 市指定史跡 昭和39年9月29日指定 太田部塚山古墳群おおたぶつかやまこふんぐん 所在地:秩父市吉田太田部1470番地 所有者:個人 群馬県境に近い海抜850mの塚山山頂近くに、13基の古墳群が点在する。そのうち1基は前方後円墳である。この古墳群の下方から縄文土器等が出土しており、縄文時代から集落があったと考えられている。なお、この古墳群は、埼玉県で最も高い位置にあり、県選定重要遺跡にもなっている。  

・自然
・楢尾『花のあとさき ムツばあさんの歩いた道』盛夏は緑のみ、春の花時に訪れたい
・蝉時雨 ミンミンゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシも 里から林の中に環境に応じて鳴き分け
・黒系統のアゲハチョウが舞う クロアゲハ、モンキアゲハ、カラスアゲハ 
・鳴鳥 里ではウグイス、広葉樹林ではケラ、針葉樹林ではカケス、カラ、その他キビタキの声を聴いたような
・動物 鹿が鳴いて逃げて行った。鹿道には糞も幼獣の頭蓋骨も括り罠も。

3.2. 安全・ハザード
3.2.1 道迷い
塚山神社跡の灯篭から踏み跡を辿り太田部塚山古墳群に向かった。驚いたことに踏み跡は作業中の大規模伐採地に入って消えてしまい、作業用に作られたジグザグキャタピラー道が山腹を貫いていた。古典的な地図読みをしてキャタピラー道を分岐に来るたびに南東に下る。標高850mにあるという古墳群への踏み跡はどこなのだろうか。見つからずとうとう標高720mあたりの実線林道についてしまった。楢尾に最短で行くためには久保田集落・北集落への降り口を探さなければならないが現在地が分からない。北へ道なりに進んで道の西側(左側)にあるはずの二重破線路への入り口を現在地確認のため探した。が、見分けもつかずに通り過ぎて実線(Y字)路の入り口を二重破線路と間違えてしまった。ネット記録の降り口を通り過ぎてしまったことになる。北集落・久保田集落から登ってきたのなら迷うことなく実線林道のポイントに到着するのだろうが。

3.2.2. 薮・倒木
・塚山北東尾根の東支尾根がクネクネ林道曲がり角に接する場所は日当たりが良いためか林道側に薮がある。また森林公社が行ったと思える間伐材が尾根にそのまま重ねられた場所が数か所あった。
・塚山北東尾根標高点872から塚山山頂尾根アンテナまでにはネットフェンス沿いに草・低木薮があり、所によっては深い。 ネットフェンス東の植林地の端には伐採した木々がそのまま倒木状に置かれている箇所もある。細尾根だが東側の植林の中を歩くことを勧める。
・塚山北東尾根の最後のコルから頂上までの斜面は西側が低い細木の薮であった。頂上から塚山神社跡に下るとき、尾根を見上げたが尾根の東側の植林斜面には薮がほとんどない。
・塚山神社跡の下の伐採現場で新設されたキャタピラー作業道には丸太の積み上げが道を塞いでいた。数か所もある。伐採作業が終われば丸太の山はなくなるだろう。
・楢尾川沿い破線路は最近、手入れされていないようで一ヶ所ほど倒木が道を遮っていた。

3.2.3. 岩場・急坂
今回のコースに岩場はなかった。林道から十八神社へ下ったが、林道と十八神社がある尾根の間の沢へ林道から下る尾根末端近くが急だ。杉植林地で目印テープが続くので慎重に木を利用して下れば良い。

3.2.3. 気温・衛生害虫
猛暑日であったが山中の尾根道は木陰、微風で体感温度は快適域に近かった。蚋・薮蚊など現れず。

4. 歩いてみての感想
・塚山をハイキングできたのは嬉しい。これで埼玉の山201も残りが30になった。
・塚山山頂から塚山神社跡、磐座を通って、計画したように北集落か久保田集落に下ることができなかったのは残念。逆コースなら林道に迷うことなく登ることができたに違いない。迷ったせいで十八神社に参拝できたのは望外に嬉しいが。
・太田部塚山古墳群に到達できなかった。間近で広範囲な伐採作業が行われていて徒歩道が寸断あるいは消失していたと考えられる。麓の久保田集落の標柱がら出発し、林道の標柱を経て踏み跡を辿って標高850m等高線を巻いていけば古墳群の標柱を見つけることができるかもしれない。埼玉県最高所の古墳群ということだが惜しいことをした。
・楢尾の「ムツばあさん」が畑に植えた花木は緑の葉を茂らせていた。縁側の陳列にある写真を見てやはり春に訪れたいと思う。
・楢尾から北へ向かう川沿い破線徒歩道は手入れがされていない。消失している部分や雨裂に断たれている箇所、倒木が道を塞いでいる場所もあった。登山者には近道のように思われるが使わない方が賢明だ 。
(記 礒田武志)

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(写真 礒田武志)
 
5.記録 
5.1. 太田部入口バス停9:55から簗場集落最奥民家まで
ウグイス、ミンミンゼミ、ツクツクボウシの合唱に送られて太田部入口バス停を出発した。陽射しがシャツを貫いてくるほど強いので日影を選んで赤い吊橋の袂まで来た。橋の名は「おゝたぶばし」と記してある。風が渡る橋の上から下久保ダムの緑色の湖を見下ろすと鱒かバスかわからないが釣りボートが漂っていた。橋を右岸に渡って北に進む。深緑の左岸をダム湖越しに眺め、沢の手前で山側の法面を見る。一面にイワタバコが張り付き満開の花茎を伸ばしている。沢に一条の小滝が下っていた。標高点314・石標分岐で車道と別れ山側の舗装歩道に入る。歩道は斜面をジグザグを張って緩やかに登っている。曲がり角には葛の花が下がっていた。道なり進むと分岐になる。西に巻く道を見送って南へ入り登る。墓地を過ぎると舗装歩道の末端が見えた。

5.2. 簗場集落最奥民家10:15から尾根切通まで
舗装歩道簗場集落最奥の民家脇から尾根東を巻く土道へ入る。尾根は西側の民家裏から始まっていた。日向と木陰の間をカラスアゲハ(ミヤマカラスアゲハかも)が舞う。檜杉植林に入るとミンミンゼミ・ツクツクボウシの蝉しぐれとなる。ソックスを履き替え、靴紐をしっかり絞め足ごしらえをする。終えて土道から獣道を踏んで尾根筋へ登った。等高線400mの辺りだ。尾根に出ると杉檜植林の中を歩き易い踏み跡が斜面を登っているのが見えた。この尾根に邪魔をする倒木や薮はないが等高線的に低い石垣ある。出会うたびに巻いて越した。石垣に会わなくなると、作業道跡に接しているのか境界のように矢竹の列ができていた。近くの尾根道に森林公社の境界標コンクリート杭と赤プラ小杭が刺さっていた。踏み跡は巡視の方と鹿が作ったに違いない。里山で見慣れた赤杭にも出会う。杉檜林が檜林に変わり、古指地区から上がって来た車も走れる林道角に合流した。合流点周辺は薮がある。少し離れて檜林の中を登り詰めていく。足元に括り罠の残骸を見つけた。罠本体はなかったが鹿が多い里山では注意が肝心だ。ピンクテープを巻いたコンクリート杭を見つけた。巻かれたテープの新しさを見ると巡視は最近のようだ。標高差200m弱を登るのに40分もかかっているのに気づいた。麓を見ればまだ民家の屋根さえ見える。やはり木陰歩きと言っても体に猛暑の影響がある。微風が体を抜けると心地よいが杉林に鳴くエゾゼミのギーギーが暑さを増すように感じた。再び車林道の曲がり角に出会う。今度は林道を見下ろすようになったが尾根筋は間伐した檜、杉が放置してあって登りにくい。平坦な尾根に出て広葉樹林に入る。明るい緑に気分もよくなるが再び暗い杉檜植林に代わる。東側から登って来た「自動車がなかった時代の作業道」に出くわす(等高線600m)。深い溝となった古い作業道を左に見下ろしながら植林の中を登る。作業道と合流した先にU字形の切通が見えた。

5.3. 尾根切通から塚山954.0m12:53まで
等高線680mにある尾根切通に着く。どこで見ていたのか鹿が大声で鳴きながら逃げ去って行った。切通の東側は杉檜、西側は広葉樹と区分けされているのが面白い。切通の南北はザレ気味の細尾根になっている。木の根を掴んで細尾根に登り南へ向かった。しばらくあるくとここにも東から作業道が登って来て西へ下っている。こちらの切通は広い。地形図二重破線の作業林道のようだ。時の流れを感じる。ピンクテープを巻いた森林公社コンクリート杭に出会う。その先は間伐した木を尾根に倒したままにしてあった。間伐倒木を過ぎると歩き易い尾根道となり正午チャイムが里から届く。尾根は一層平坦になったが足を進めず広葉樹の根の上に腰かけて昼食とした。約20分後、標高点875の峰に向かう。ほんの2分の歩きで着いた。下ったコル辺りから尾根の北西側にネットフェンス南西に続くようになった。ネットフェンスの東側は赤松が混じる植林、西側は草や低木の薮である。草生した作業道が東からあがって来た。これも地形図には記載がない。赤松の大木が尾根に並ぶ場所には古い松毬が一面に積もっていた。ネットフェンス越しに西上州の山々見えたりするが草・低木の薮が尾根の上に続き隠すようになる。さらに尾根の南東側は倒木ゾーンに変わり踏み跡はあるものの歩きにくい。小さな峰を越すとネットフェンスの北西側遠くに作業道跡が残る草緑の塚山西尾根が見えた。コルから薮尾根を登り切るとアンテナが立っているのが見えた。アンテナからは南東に伸びる頂上稜線だ。ほんの少し歩くだけで塚山三角点が見えた。

5.4. 塚山954.0mから塚山神社跡13:04まで
塚山の山頂の空き地に三角点954.0mと木につけた小さな山名板がある。木々に囲まれているせいで展望はない。西に歩いて埼玉県と群馬県の境に立とうかと考えたが計画より約30分遅れているので塚山神社跡を目指すことにした。来た道を北東へ下る。黄色プラ杭を一本見つけ北東の平坦地に神社跡があるということで、ここからコル東の広い谷に下った。往路もここに下ってアンテナに向かえば薮を避けられたと尾根を見上げて悔やんだ。広い谷からそれらしい方向に歩むとすぐに岩の上に据えられた石祠を見つけることができた。

5.5. 塚山神社跡から「太田部塚山古墳群」への道標まで
石祠のある岩塚(標高885m)を半周して塚山神社跡に着いたのだと安心する。下ると北東にはもう一つ大きな岩塚がある。こちらが磐座なのだろうか? 周りをキツネノカミソリが囲んでいた。岩塚の角から振り返って石祠の方を見たが木々に隠れてしまっていた。石塚から広い谷を明るい方へ下ると石灯籠が立っていた。ここからが塚山神社の境内だったのだろう。下って 石灯籠を振り返ると左手の壊れた灯篭と合わして一対あった。塚山の真東にあるという太田部塚山古墳を目指して下る。なんと大伐採現場が目の前に、作業重機の音がする。(下山後トラックログを調べてみたら、ここで真東に下っていたら地形図二重破線路にであったはずだった)。しかたなしにキャタピラー跡が着いた真新しい作業道を下った。作業道には数か所丸太が積み上げられていた。丸太の山を越しキャタピラー跡を踏みながらジグザグの伐採作業道をくだる。伐採作業道から林道に出た。合流点は峠になって南に数台車が駐車、北から重機の音が轟く。困ったことに植林地を等高線に沿って巻く林道で高度計では現在地がわからない(ログだと標高点647の真西だった)。少し南に降りたのだろうとコンパスで林道の方向を北北東と確認、地形図と照合して2か所を候補とし、古い作業林道(二重破線)を見つけて久保田集落への降下点を探すことにした。北東にすすむと悩みを深めるようなクサギの香り漂う。(ログでは見つけることができないうちに二重破線路合流点を過ぎていた)。北へ向かうと「太田部塚山古墳群」への道標が立って踏み跡が西へ登っていた(ここの林道東側に降下点があったのかもしれないが)。「太田部塚山古墳群」は南にあるはずと不安が募る。

5.6. 「太田部塚山古墳群」への道標から十八神社まで
さらに道なりに北へ向かう。古い作業道の分岐を見つけこれが地形図の二重破線路だと現在地確認をした(残念なことにログで見るとY字実線路)。この北に東に突き出た尾根がありその近くに降下口があるはずと歩き続けた。次の東へ突き出た尾根(標高点875真東)に下山路があるはずと尾根をのぞき込むと境界赤杭とテープが点々とあった。高度が約20mほど低いのと傾斜が大きいので半信半疑であったが下ることにした。尾根は沢に落ち込む急傾斜となる。目印が続くので杉の木を握り、抱え、抱きつつ慎重に下って沢に着いた。沢は北に向かって流れている。目印は沢の下流と向かいの斜面と2方向にある。激しい沢音がするので斜面を赤フ頼りに登ることにした。斜面の上の尾根には赤杭の行列が南の方へ登っていた。一安心して尾根の北へ赤杭を辿って下ると古い道が出てきた。道なりに尾根を下る。杉林にヒグラシがカナカナと啼く頃、目の前に石祠と十八神社らしい屋根が見えた。

5.7. 十八神社からムツばあさんの家まで
この神社は鞘堂の奥に拝殿があるようだ。ともかく無事を感謝して礼拝した。十八神社由緒を読み、階段を下って参道を回って車道に出ると向かいには太田部分校・ヘリポート・避難所看板があった。ここが吉田の太田部の中心なのだ。人気が全くない車道をひたすら楢尾の方向へ歩む。北集落の手前で黄色パジェロの男性が追いつき止まって「珍しい。人に会った」と話しかけてこられた。楢尾分岐を教えていただく。北集落に入ると太田部塚山古墳群登山口標が立ち、歩道が山の方に入っていた。ここに降りてくる計画だった。残念。今度は太田部の獅子頭標が立つ。後ろは収納の倉なんだろうか。曲がり角に林道入山線が南西に分かれて東に向かうと楢尾分岐となる。右に教えていただいた目印の公衆便所があり、前に楢尾ヘの道標がある。長い急傾斜車道を息を切らせ汗を流して登る。沢にタマアジサイが咲いていた。「おゝくぼばし」を渡る。キビタキらしい囀り聞こえたが盛夏にも鳴くのだろうか。楢尾への坂道を登り川沿い破線路入口を探す。候補が2か所あった。楢尾集落分岐の「ムツばあさんの家への道標」に従って坂を登って右折してへ「ムツばあさんの家」に向かった。

5.8. ムツばあさんの家から太田部入口バス停まで
無住の小林家の縁側には夫婦お二人の遺品が陳列してあった。盛夏なので周りは緑一色だが春の花時は目の前の写真のように素晴らしいのだろう。引き返して庭の角でムツばあさんの家をふりかえる。背後の森から鶯の囀りとツクツクボウシ蝉時雨が降り、惜別の音を送ってくる。県道に下ると公衆便所があった。春には混雑するのだろう。川沿いの破線路へ下る。コンクリート舗装の坂道だがすぐに落ち葉が積もった小橋になり廃屋に繋がる。踏み跡も廃屋の土台も崩れ、土台下の急斜面を杉の幹を順番に持ちつつ沢まで下る。ログによると破線路を知らぬうちに横切っていたらしい。破線路は消え去っていたので沢に沿って堰堤まで下った。堰堤の東斜面に赤テープがあるのでそれを目指して巻き気味に登り下る。2つめの堰堤も同様にクリアすると斜面に破線路らしい徒歩道が現れた。今度は徒歩道を裂く雨裂にあう。沢に下って徒歩道へ巻きあがる。なんとその先では倒木が塞いでいた。ようやくネット情報にあった杣道らしい徒歩道になり、最後に県道に合流した。腕時計を見ると随分遅れている。バスの到着時刻5分前を目標に急ぐ。橋の手前で車通行禁止のポスターを見たが徒歩なら問題ない。「ならおはし」を渡る。左手の石碑を読むことなしにひたすら道なりに北へ向かう。「こざすはし」を渡りどうにか「おゝたぶばし」にたどり着いた。橋の上から曇り空の下のダム湖を覗いた。朝とは違い小波が立っていた。雷雨襲来なしを安堵して太田部入口BSに着いた。バスを待つ。
6.覚書
6.1.看板説明 
・十八神社じゅうはちじんじゃ 御由緒 秩父市吉田太田部七九三 ◇花火の神様と呼ばれていた 当社は元来、旧名主の新井家の氏神もしくは屋敷鎮守であったため十八社新井大神ともよばれていた。当社の創建は、由緒書に「古老ノ伝説ニ曰ク、日本武尊酒折ノ宮ヨリ登リ給イ其ヨリ諸山ヲメクリテ此地ニ至リ給ヒ当時村社十八神社申奉ル、秩父国造ノ祖神天下春命ニシテ即御日本武尊祀ル処ナリ」とあり、「明細帳」では永徳年中(一三八一~一三八四)の創立とされ、慶長二年(一五九七)に社殿を再興し、明治五年(一八七二)に村社となり、十八神社と改称されたことが記されている。 天下春命・保食姫命・天熊大人である。天下春命は八意思金命の御子で知知夫彦命の祖にあたる神、保食姫命は五穀・食物の神、天熊大人は天照大神の命により、月夜見尊に殺された保食姫命の死体から生じた五穀・牛馬・蚕などを持ち帰った神である。本殿脇には産泰様を祀る石祠がある。 祭りは例祭のみで、「風土記稿」には「例祭六月十五日」との記載があるが十月に変更された。当社は”花火の神様”と呼ばれて、昭和二十五、六年(一九五〇、五一)までは、龍勢花火が盛んに奉納され、最盛期には二十五、六本も打ち上げたという。 この隆盛に負けず劣らず盛んであったものに地芝居があり、二晩行ったというが、ともに戦後中止された。 現在、祭りには祭典と直会が行われる。

6.2.他
・日本山名総覧18000の山(武内正 白山書房 1999初版) 国土地理院発行の2.5万分図に記載されている全ての山16667山、過去に2.5万分図に記載されていたが山名が削除された山31山、その他の山1334山で、全収録山数は18032山

・秩父市吉田太田部楢尾 山あいの段々畑に花を植え続けた夫婦と小さな村の物語-18年にわたりNHKが記録したドキュメンタリー、2002年から09年迄6回シリーズ「秩父山中 花のあとさき」で放送されてました。映画『花のあとさき ムツばあさんの歩いた道』が上演されています