尾瀬 オモジロ山(1885.0m)・袴腰山(2042m)・大江山1881.5m・皿伏山(1917.0m)・白尾山(2003m)・荷鞍山(2024m)・中原山(1969m)

【日付】              2023年05月01日(月)~03日(水)

【メンバー】      L:会員外(T. K.)、他1名

【交通】

(往路)大宮(東北新幹線たにがわ401号2号車)集合7:01→7:53上毛高原→上毛高原(関越交通バス)8:10→10:10大清水

(復路)鳩待峠15:10(乗合ジャンボタクシー)→駐車場→15:41戸倉バス停(関越交通バス)16:02→17:29沼田駅バス停・沼田18:02(上越線高崎行)→18:48高崎(新幹線とき340号2号車)19:00→19:27大宮解散

【コースタイム】

5月1日(1日目)大清水10:15→11:10一ノ瀬休憩所11:33→12:46三平峠12:52→14:05オモジロ山1885.0m14:07→14:58三平峠14:58→15:06尾瀬沼山荘→15:29長蔵小屋

5月2日(2日目)長蔵小屋6:58→→07:01尾瀬沼ビジターセンターと尾瀬沼ヒュッテの間→8:35小淵沢田代8:53→9:15東電只見線鉄塔→11:35袴腰山2042m11:36→12:24東電只見線鉄塔→12:53小淵沢田代→13:47大江山1881.5m→14:59大江湿原→15:47長蔵小屋

5月3日(3日目)長蔵小屋4:05→4:34三平下→尾瀬沼→5:33大清水平→6:36皿伏山(1917.0m)6:46→7:34セン沢田代→8:55白尾山(2003m)9:09→分岐9:09→10:10荷鞍山(2024m)10:22→11:06分岐→11:28マイクロウェーブ塔→富士見峠→12:29富士見田代→12:39セン沢田代→12:49アヤメ平→13:11中原山(1969m)→13:31横田代→15:03鳩待峠(1615m)

(T. I. コースタイム記)

【コメント】

(目的・背景)何度も来た尾瀬であっても、改めてそれには醍醐味を味わいたい。それには、

  1. 四季のうち訪れていない季節、2.歩いたコースでも逆はどうか、3.名山・名峰の隣に立つ寂峰に登る等の試みをすればよい。幸運なことにT. K.さんが残雪期の尾瀬の寂峰を訪ねる計画を立ててくださった。残雪期は新雪期・厳冬期に必要なラッセルをしないで済むし、雪がしまって薮や低木を抑えているので邪魔されずに歩くことができる。日照時間が伸びたうえに、新雪期や厳冬期に比べて暖かい。さらに晴天が新雪期・厳冬期に比べて多いうえに続くなどの利点がある。ゆとりをもって尾瀬を楽しむことができるということだ。

ところがこの冬の積雪は各地も例年になく少なかった。そのうえ3月から気温が高くすでに登山路に残雪がないなどの事前情報があった。心配だ。装備も薮山対応とすることになった。

5月1日(1日目)

いつものように東北新幹線たにがわ401号2号車東京寄りでT. K.さんと大宮合流をした。上毛高原で下車して駅前のバス停で大清水行き関越交通バスを待つ。長蔵小屋が開いているにもかかわらず登山客が少ないのに驚いた。若い女性2人と私と同じ年ごろの男性1人が乗車しただけであった。途中では地元の人たちが乗降、戸倉で登山女性達が下車、男性3人が残った。長須ケ玉山に登ったかと聞かれたが、記憶が定かでない。帰宅後に記録を繰ることにした。麓の片品村集落では満開の花と木々の新緑が一緒に、雪国の春を味わった。大清水下車の折、スイカにオートチャージができないので紙幣でチャージして料金を支払った。二度はここに来たはずだが大清水バス停周囲の建物の様子が記憶と違う。下っていくバスの方を見ると駐車スペースに数台の自家用車が止まっている。バスの時代は既に流れて去っているようだ。

大清水の車止めゲート脇をすり抜けて沼田街道の舗装道路を歩む。何年ぶりか。ヤナギやヤシャブシの花穂が路上に落ちているが、ブナなどの広葉樹の枝に緑の芽はまだなかった。河畔旧道が右手に、2011/10/23に杉江ご夫婦Lとここまで下って来たと思う。記憶ではさらに1回はここを歩いている。この辺りももう初夏なんだろう。キベリタテハが何度も舞う。休業中の一ノ瀬休憩所には複数の先客が休憩中であった。休憩所裏に雪が少し残っている。そこには、繁忙期はここまでバスが来た証拠のバス停の標柱があった。私共も昼食とする。

昼食後、橋を渡ると車道から徒歩道になる。見上げた西向急斜面は残雪がなく薮・笹が出でいる。望み通りには行かない。取付そうにないのでオモジロ山(1885m) ~檜高山(1932m)~長蔵小屋へのルートを諦めて一般道を九十九折斜面に進む。岩清水で口を潤し九十九折を登って尾根に着いた。事前情報と違って尾根のシラビソ林には残雪が林床を覆っている。雪の上の足跡を辿って三平峠に到着した。思い出の看板が暗いシラベ林の前に立っている。残雪を踏んで三平峠からオモジロ山を往復することになった。

尾瀬沼から帰って来たとという若者達に別れてオモジロ山へルートを探しながら向かう。シラビソ林の広い残雪の尾根では地図読みだけでは現在地の確認できない。T. K.さんのスマホ地図アプリとウエイポイント入力が頼りとなる。緩やかで広い斜面を覆う残雪を選び、顔を出した笹薮を踏み分けて針葉樹林の中を進んだ。木々の陰から燧岳が頭を出して来た。直ぐにコブに着く。ダケカンバ林の広い尾根の残雪を歩んでいると眼下に快晴の空を映した尾瀬沼が見えた。いよいよ標高差50mの急斜面に取り付くことになる。薮に備えて履いてきたシリオの軽登山靴は爪先と踵が甘く、雪面では滑る。アイゼンが欲しい。どうにかピッケルを活用してジグザグに急斜面を登って頂上稜線に着いた。20分も掛かっている。まずは北のピークで東に向かわないように方位を確かめて南に向かう。できるだけ、先行するT. K.さんの靴跡を踏んでオモジロ山へ向かった。山頂の方からT. K.さんの呼び声が聞こえる。聞くと「GPS的にはここがオモジロ山1885.0m、三角点が見つからず、山頂標もない」とのことである。シラビソに囲まれ、笹薮に残雪、展望はもちろんなかった。

相談したように檜高山へ回らず、三平峠に往路を辿る。予報では今夕から寒気が高層に入り込むので天気が下り坂になるということだった。その通りあの快晴が消えて雲が頭上を覆う。木々の間からは燧岳が雲を被ったのが見えた。その遠東には青空を背にした白銀の山々がある。大杉~会津駒なのか。急斜面はパラパラと立つ木を目掛けてジグザグに、ピッケルの石突を木々の間の残雪に差し込んで体を支え、バランスを取って下った。T. K.さんにかなり遅れて緩斜面についている足跡を追いかける。三平峠前で追い付いて安心した。今日、学んだのは「今年は標高2000m近くでは、尾根の北と東斜面には残雪があり、南と西斜面は雪が融けて薮が出ている」ということだ。

三平峠から尾瀬沼に向かって足跡乱れる雪道を下る。声につられて振り返ると我々の後をおぼつかない足どりで下ってくる二人連れの女性が見えた。あれでは明るいうちに山小屋に入れるのか心配だ。懐かしの尾瀬沼山荘についた。まだ休業中である。ようやく表れた木道脇の溝に早咲きのミズバショウが白い蕾を開きかけていた。長蔵小屋への道標は現れているが木道は再び残雪に覆われている。木道の上と思われる踏み跡を辿ると木道先に長蔵小屋が見えた。長蔵小屋玄関前について中を覗くと少し寂しい。T. K.さんが宿泊手続きをしてくださる。聞き耳を立てると本日の宿泊者数は10人とのことであった。コロナの影響は厳しい。後続の女性たちの予約はなかった。檜高山(1932m)の頂上を踏めなかったのは心残り。

5月2日(2日目)

天気予報通り、寒波が襲来して夜のうちに新雪、窓から外を見ると、雪雲の上、木々が揺れる強風で雪が舞い上がって風吹、屋根が白くなり、出窓に出していたタオルは氷結してバリバリ、室内は2℃で洗面所外の温度計では気温-2℃であった。天気予報では9時頃から晴という。それを信じて朝のうちは曇天氷結でも辛抱しようと決めた。本日のコースは2013/6/14~15に日光から歩き、赤安山下を通過して長蔵小屋に泊まった山行の逆コースである。経験が生きるかな?

長蔵小屋の方から聞いたように小淵沢田代へ尾瀬沼ビジターセンターと尾瀬沼ヒュッテの間を抜ける。残雪だけでなく昨夜の降雪が足跡や夏道を隠しているので記憶が役立たない。まずは針葉樹林のなか雪の緩斜面へ入った。数センチの新雪の下にはガリガリに凍り付いた堅い残雪、その下は融けたり凍ったりした雪で落とし穴がある。思っていたように標高1800~1900mの急斜面では何度も滑った。シリオの軽登山靴の広い爪先では氷結した斜面でも蹴り込み・爪先支えができない。ピッケルの石突刺しこみだけでは上がれないので、嘴を雪面に立てて四つん這いで何度かよじ登った。T. K.さんは石突を刺し込んで二足のままスタスタと登ってゆく。T. I.は高木・亜高木の根本の凹みや薮の笹や細い木を利用して四つん這いで追いかけるしかないのだ。当然だが遅れてしまう。復路の急降下が心配になった。ようやく標高点1985北の平坦な尾根に登りついて待っていたT. K.さんと合流した。赤テープを見つけて斜面を下り、1911m峰東にある行政境界・田代の西端で撮影休憩をした。木々の枝葉には昨夜の雪が纏いついてる。小淵沢田代に到着した。前回の記憶と全く違う。新体験と内心喜ぶ。

小淵沢田代の一部に出ていた木道を辿って小淵沢田代東端に歩む。小淵沢田代から尾根へ緩やかな登りを辿る。夏道では不要なのだろうが針葉樹の森に目印がひとつも見つからない。T. K.さんのGPSでルートを確認しつつ、東ついで東南東に向かう。夏道では迷うはずがないところが残雪の上では道迷いの場所なのだ。森を出て雪雲が流れる東電只見線鉄塔を見た時は前回を思い出してほっとした。送電線下は幅広く長く伐採されている。風が降った雪を散らしたせいか茶色の枯草や灌木が広がっていた。雪雲が流れる伐採地から記念碑を目印に夏道に入る。入り口こそ森の外で雪がなかった針葉樹の森には残雪があり、なんといっても残雪緩斜面の広い尾根なのでT. K.さんがGPSに取り込んだ地形図とウエイポイントに従わなければどこに行くのか分からない。シラビソの森の木々の枝には昨夜の雪が化粧を施している。広い尾根の破線路を辿り、袴腰山北1985標高点を巻く道の西端に出た。コルになる。この巻道を2013年6月には約20分で通過していた。巻道取り付きはコルから谷へ下る北東斜面のどこかにある。巻道の目印はなくT. K.さんはそれらしいところを進まれているがT. I.の足ごしらえでは立ち木頼りで残雪を渡って行くしかないと判断した。泣き言をT. K.さんに伝える。T. K.さんは、ちょっと先の赤安山を諦めて1985標高点に向かって登ってくださった。追いかけて登るも残雪急斜面は厳しい。標高点1985で息継ぎ休憩を設けてくださって袴腰山山頂へ向かった。アイゼンがあったらな~

袴腰山(2042m)は地形図通り広くて平坦な峰であった。どこにも山名標が見当たらないが西斜面端に座って赤安山を展望する。流れる雪雲で赤谷山は隠されていた。方位を変えて燧岳を見ることもできる。下山になる。P1985からに巻道分岐を過ぎて鉄塔に帰着、まだ雪雲が流れている。石碑は電発只見線竣工記念碑と再確認できた。踏み跡を辿って小淵沢田代に到着した。ここで相談した結果、往路の急斜面を懸念して檜高山には向かわず、北へ大江山に向かことになった。縦走路はない。まず平坦な尾根道を目掛けて北に向かった。

T. K.さんのGPSで大江山山頂を確認した。針葉樹林(米栂)の残雪平坦場所である。太陽がわずかに射した。すぐにコルまで往路を引き返してコルから電子地図の破線路を目指して下る。着いた破線路すなわち遊歩道を辿るが雪解け水が迸り、沢を渡す橋がない。観光登山道路なのになぜ? 撤去? 残雪を辿って大江湿原に出ることができた。ここでようやく青空に、予報では9時だったのに15時だ。記憶に従って湿原の北東端を南東へ進んで湿原に架かる木道へ着いた。橋も渡る。沼山峠へ向かう長靴集団、歩荷他計6人プラス散歩5人と木道ですれ違う。長蔵小屋について沼畔ビューサイトポイントから燧岳、大江湿原、尾瀬沼を撮影して長蔵小屋入口に回った。赤安山頂上を踏めなかったのは残念。

5月3日(3日目)

前夜頂いた朝食弁当のお結びを一つ腹に納めて薄暗いうちに長蔵小屋を出発した。ヘッドランプが前を歩くT. K.さんの足元の残雪を照らす。まずは尾瀬沼越しに夜明けの燧岳を見ながら尾瀬沼南岸コースを三平下に向かう。三平下から富士見峠までが礒田にとって未踏コースで今回最大の楽しみである。三平下を過ぎるころ曙が尾瀬沼に及んだ。岸辺には薄氷が張っていた。木道や木段が残雪で隠されているので雪に残る踏み跡を辿る。尾瀬沼散策の方々が思い思いに歩いている。迷わされた。

ようやく分岐標柱に出会い、大清水平・皿伏山へ向かう。分岐からは林の中、まずは標高差50mの急斜面に取り付かなくては大清水平のある平坦地には出られない。氷結した急斜面には私のシリオ前広爪先では蹴り込みが足りなかった。前日と同じだ。スタスタ進むT. K.さんの跡を追わず、狭い棚を見つけてはできるだけ短い急傾斜にピッケルの石突・嘴を差し込んで四つん這い登った。何層もある。どうにか広い平坦棚に登り着いて息をつく。もちろん残雪の上だ。針葉樹林の平坦地を歩くと大清水平が見えた。

大清水平東端について部分的に現れていた木道の上を直進して尾根筋へ向かう。登り着いた広い尾根ではやはり、T. K.さんのGPS・スマホアプリが現在地確認の頼りである。地図読み・コンパスという古典的手法に拘らず、積極的にスマホアプリとGPSを活用すべきだ。今回もGPS・スマホアプリに従って南西尾根に乗ることができた。カモシカの足跡に加えて逆コースを歩いた新しい靴跡がある。足跡をよく見ると踵に軽アイゼンを装着しているのが分かった。昨夜、長蔵小屋で同宿したかもしれない。そうしたら寡黙な方だ。超ベテランかも。

皿伏山(1917.0m)について標柱を撫でた。木々の間から次の白尾山が見える。標高差にして120mを立ち木と笹を頼りに残雪急斜面を南南西へジグザクに下った。無雪期なら九十九折の楽々道があるのだろうが残雪の下に隠れている。肝を冷やしながら急斜面を下って1825峰北東の平地についた。一安心する。セン沢田代で朝食休憩となり残りのお握りの半分を食べ暖かいコンソメスープで喉を潤した。休止後1821峰を通る。

斜面を登り返してって白尾山2003mに着いた。 山頂からは燧岳だけでなく至仏岳も見えている。見下ろしたコルのすぐ向こうには荷鞍山がある。ここから片道30分で到達できるとの話だがどうだろう。まずは荷鞍山の分岐点を探す。残雪が消えた富士見峠への夏道脇の笹薮にポカリと空いた分岐の口が出ていた。薮を分け残雪急斜面を下らなくて済むので大助かりである。南南東へできるだけ夏道に従って下る。標高点1926を過ぎてコルに着いた。すこし登り返し尾根分岐を南東へ、残雪が消えて所々に出ている夏道を辿る。夏道の至る所に鹿やカモシカ、ウサギの糞が転がっていた。丸いのは兎、俵は鹿かカモシカ、散らばっているのは鹿と一人ごとを呟いてみる。積雪前の落し物だろう。道の両脇の草木にはまだ花の気配がない。電子地図の荷の字の辺り(標高約1950m)にある岩塊の西側を巻いていわゆる頂上直下の急な尾根下に達した。どうにか先行するT. K.さんを追いかけて荷鞍山2024.2mに到着した。山頂標がある。「こんな渋い山だのに」と驚いた。荷鞍山から南峰を見る。尾根筋を目で辿るが夏道の形跡がない。もっと渋い薮山のようだ。鳩待峠までの距離と時間を考えてだろう南峰往復を割愛することになった。荷鞍山の山頂は木に囲まれているが意外に見通しがある。北西の鳩待通りの向こうには至仏岳から平ケ岳に繋がる大白沢山などか見えた。展望を少し楽しんだ後、白尾山の分岐へ往路を引き返す。T. K.さんから「新ハイキンググループでも荷鞍山山行があったくらい人気」と聞いて登山路の刈り払いや山名板など手入れが行き届いていたことに納得した。コルから尾根と斜面を登り返して白尾山の分岐に帰って来た。「登り返しの標高差が往路より約30mは短い」とT. K.さんから励ましと労わりをもらう。

平坦で広いシラビソ林の中を西へ富士見峠に向かって歩いてマイクロウェーブ塔(1956m点)に到着した。ここで昭文社の登山地図上では夏道がクランクして東に曲がる。電子地図では実線であるので林道なのであろうが残雪に覆われて、さて地図読みだけではコースがどこか分からない。T. K.さんのGPSに頼るしかないのだ。まずは燧岳を眺めて東に、ついで北へ至仏岳を眺めて富士見峠を目指す。残雪で隠れているが自動車道を歩いているらしい。TEPCO道標が道脇に立っていてこれを納得させてくれた。この辺りから赤テープが頭上高く要所要所の木々に結ばれている。あの高さ、4mまで積雪があるのだ。富士見下からマイクロウェーブ塔に至るTEPCOの保守道路なのだろう。赤テープを見上げ、探して歩を進めているうちに明るい富士見に到着した。1998年09月に見た富士見小屋はどこにもない。新ハイキングクラブの富田リーダーが東電と交渉して13日に富士見下から小屋下までバスを通してもらって富士見小屋~富士見峠~鳩待峠~至仏岳~尾瀬ヶ原~温泉小屋(泊)、14日に松本SLの下でT. I.が現地任命のSLとしてメンバーを引率し、燧岳に登って尾瀬御池まで下ったことをはっきりと思い出した。さてどうにも、見晴に下る分岐道標を見落として昔の富士見峠を気づかず通り過ぎたのかもしれない。小屋跡も見つからなかった。尾瀬大看板の斜め向かいに新しい公衆便所と太陽光発電パネルが雪原に並んでいる。雪が融けた軒下に座って昼食休憩をした。

尾瀬大看板を再視して道標に従い、まずは現在の富士見峠へ少し登る。残雪の上に残る足跡が大幅に増えた。竜宮に至る長沢林道分岐がここにあるのかもしれない。広い雪原の尾根に出て西へ向かう。富士見田代に入ると木道が出てきた。有難い。大切な目印である。楽々の観光ルートとの事前判断でここから電子地図プリントは必要なしとは甘かった。残雪で覆われている広い田代はどこでも歩けるのでコンパスだけでは迷ってしまう。平ケ岳がセン沢田代越に現れて来る。左に大きな緑の圏谷を見ながら緩やかに登り、振り返って白尾山と荷鞍山を見ることができた。

アヤメ平の東端に着いた。1998年の秋には随分荒れていて復元に筵を掛けた場所がアヤメ平に続いていた。今は 「文化財を大切」にとの標柱があり、芥もない。筵を抑える串が立った場所も少なくなったがまだ残っているとの印象を受けた。25年間位では自然の復元に時間が足らない。第一次尾瀬ブームの時、先輩達は自分たちの行動が自然を破壊するなど考えもしなく、そこら中を踏み荒らしたに違いない。我々は木道を外さずに歩いて自然破壊をしないことをまず心がけ実践したい。アヤメ平から振り返って燧岳を望み、目前に至仏山を見た。至仏山の北に白銀尾根が続く。懐かしい奥利根の山々だ。麓の笠ヶ岳や景鶴山も緑であった。ベンチスペースで休憩する。周りは雪が融け始めたばかりで春の草花はすこしも姿を見せてなかった。残念。鶯以外の囀りもなく夏鳥はいつ来るのだろうと・・・

米栂の林に入る。T. K.さんのGPSで最高所だからここが中原山山頂かとの話だったが三角点が見つからない。最高所は低い針葉樹疎林の中であるので笠ヶ岳から至仏山を堪能できた。少し下ったところに中原山の山頂標柱があった。地図的には、この辺りに三角点1988.9mがあるはずだ。ここで本日始めての登山者と遭う。「竜宮へ下りテントを張る」という、私どもより若い男性だ。別れて鳩待通りの横田代に入って休憩した。横田代には旧木道と新木道が至仏山へ向かって2列に真っ直ぐに延びている。木道先の雪田は針葉樹林に入り込んでいた。道標「富士見峠3・3km鳩待峠3・0㎞」が雪から首を覗かせている。ところどころに顔を出した木道と残雪の上の足跡、赤テープとT. K.さんのスマホアプリとGPSを頼りに進んだ。針葉樹林の中で見つけた次の道標は「富士見峠5.1km鳩待峠1.2㎞」である。赤テープが次々に、踏み跡も増える。曲がり角で何度かコースから外れた。メッケ田代に行った方もいるようだが残雪尾根筋と木道とがずれているのが主因だ。乱れた足跡から同じ経験した方がいるのが分かる。針葉樹林から広葉樹林(ブナ林)に入る。雪解け水が流れる徒歩道になった。下りは滑りやすい。鳩待峠の建物が目の前に迫る。登山路末端の制止杭の脇を抜けて鳩待山荘と隣の建物の間の階段を踏んで鳩待峠に出ることができた。秋に歩いた経験と残雪の上を歩いた今日の経験とは違いが大きいと実感できた。新感覚だ。

鳩待峠には大勢の方が休憩していた。トレッキング、山スキーなど装備はとりどりである。鳩待山荘は休業中であるが売店のソフトクリームが大好評だった。ここには5、6回来ているな。前回まではここまで自家用車で登ってこられた。しばらくぶり、随分、雰囲気がかわった。店の前のバス・タクシー乗車券売り場へT. K.さんが鳩待峠~戸倉までの乗車券(¥1000円)を購入に行ってくださった。バス・タクシー乗り場へ下る。初発のジャンボタクシーに乗車できたが「戸倉バス停まで」と言わなかったせいで有料駐車場まで乗せられて下ろされてしまった。ほとんどの方は車を止めた有料駐車場で下車する。T. K.さんが次便の運転手にその旨を訴えてバス停まで送り返して頂いた。感謝! 着いた関越交通バス戸倉停留所で待っているはほんの少数、次々にジャンボタクシーが到着してそれぞれわずかな人数を下して駐車場に向かって去っていった。一日に会った女性の方のように、バスを利用した逆コースの時はどうするのだろうか。停留所向かいの山斜面には落葉松の新緑が広がり、その間に山桜、緑・白コントラストが美しい。振り返ると道路法面のピンク芝桜やラッパズイセンのオレンジも映えていた。

(T. I. コメント記)

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